東京工業大学地球生命研究所(ELSI)は、エビデンスに基づくアウトリーチを展開することで、科学コミュニケーション専門トレーニングの大切さを積極的に発信している。日本の高等教育機関と研究機関での研究アウトリーチ活性化の先駆けとなることを目指す。
世界的COVID-19パンデミックと気候変動に対する社会と政府の反応は、科学者と研究機関の情報伝達力の向上がいかに求められているかを浮き彫りにした。 研究は国民の出資によって国民のために行われているが、研究が理解されず科学者への信頼がないと、人々は科学に対して懐疑の兆候を示す傾向にある。 日本の地球生命研究所(ELSI)のコミュニケーション・ディレクターであるシリーナ・ヒーナティガラは、日本の科学機関内のアウトリーチプログラムを標準化し、科学コミュニケーションがそれにふさわしい認知と信頼を得られるために発信を続ける。
ヒーナティガラはELSI内および日本における科学コミュニケーションの伝統的要素のいくつかを保持しつつ、新しい試みを取り込むことでそうした発信を行う。
そのいい例が毎年恒例のELSI科学シンポジウムだ。全国の研究機関は同所のシンポジウムを高く評価している。そこで、 第9回シンポジウム2021と第10回シンポジウム2022では、プログラムの一部をアウトリーチと科学コミュニケーションに特化した。同シンポジウムで完全に科学に専念していないトピックを組み込んだのはこれらが初めてだ。
ヒーナティガラ率いるチームは、通常は対象年齢が上であるELSI公開講座に、学校の生徒の参加を促す広報キャンペーンも行っている。 こうした活動が、科学リテラシーを向上させ、次世代の科学者をインスパイアするためには大切であると、ヒーナティガラは言う。 ELSIのパブリックエンゲージメント活動のいくつかは、こうした理由でこれまでよりもはるかに若い層を受け入れている。 1月に開催されたELSIの一般講演会2022は、「地球深部からはるかな宇宙まで」というタイトルのもと、地球深部専門家である廣瀬敬と惑星大気科学者の関根康人による講演を行った。
ELSIは、科学アウトリーチの重要性に対して絶対的な確信を得ている。それは、新しく開設される生命の起源をテーマにした5年間の統合大学院プログラムで、グローバル科学コミュニケーションコースを設置するほどに及ぶ。
「日本の大学が検討すべきことは、カリキュラムに正式な科学コミュニケーションプログラムを導入すること。高度なスキルを持ったアウトリーチ力を生み出すために必要なことです」と、ヒーナティガラは言う。
彼によると、現在ほとんどの日本の機関では、アウトリーチは事務スタッフによって行われており、科学や科学コミュニケーションに情熱を持っていても、そうしたスタッフが専門のトレーニングを受けていることはまずない。たとえ献身的なスタッフが、スキルアップのために科学コミュニケーションのワークショップに参加したくても、所属機関の承認を得るのが難しいのが常だという。これは研究機関側が、事務スタッフを研究者スタッフのようにトレーニングや会議に派遣することに従来より慣れていないためだ。
「研究機関は、スタッフが地元で利用可能なトレーニングに参加することを奨励すべきです。」
このギャップに対処するため、ELSIのアウトリーチ部は、同所内や日本の他の地域で科学者やアウトリーチのスタッフを対象とした科学コミュニケーションの養成セッションを設けている。
近年、ELSI自体の科学コミュニケーションのアプローチも非常に革新的なものになってきている。同所の科学アートプログラムでは、毎年3〜6か月間、施設の敷地内で芸術家を受け入れており、科学者と芸術家が異なるお互いの考え方に対して心を開く機会を設けることを目的としている。
2021年にこのプログラム参加した日本を拠点とするイラン人アーティストのパディ・ファラジは、科学者と共同作業を行うことで宇宙に対する独自の視点が芽生えたと話す。同時に、一緒に作業をした研究者にとっては、事実に基づいた研究を芸術的観点から見ると、その研究にまつわる色彩、匂いや他の感性的要素について考えることから始まることを学ぶ機会になったという。
最終的にこのコラボは、地球とその生命がどのように形成され、進化したかを探求する「生命の起源」をテーマにしたコンセプチュアルアートとして実を結んだ。
ELSIのアウトリーチ部署では、同所で行われている研究に関するプレスリリース発行も手掛けている。これは決して容易なタスクではない。ELSIの研究は、異文化交流に基づいているため、生物学、化学や天文学などの幅広い分野の研究者が携わっている。同時に、生命の起源は社会的に関心の高い分野だ。
「すべての領域をバランスよく網羅しつつ、当所の学問がメディアによって誇大に取り上げられないように調整するのは、アウトリーチにとって難問」と、ヒーナティガラは言う。
こうした努力は実績に繋がっている。2020年には、ELSIの研究活動について日本国内外のメディアが取りあげた記事は、460本以上にも上った。
ELSIのアウトリーチ部署では、同部の業務をエビデンスに基づいて評価することを重点的に行っている。ヒーナティガラのチームは、複数のデータ収集と分析手法を組み込んだ「ELSI科学アウトリーチ評価フレームワーク」を設計。アウトリーチのスタッフ、研究者や政策立案者が、科学アウトリーチ活動の影響を測定して、理解することを助長するために作ったものだ。
ヒーナティガラは日本、さらにアジアで、科学者やアウトリーチのスタッフ向けに豊富なトレーニングを含む正式な科学コミュニケーション教育が増えることを願う。
「研究機関が、研究に関する事務作業とアウトリーチでは全く異なるスキルが必要であることにまず気付くことが大事です。」
将来は、アジアのすべての科学機関がアウトリーチとコミュニケーション戦略を立てられるようになることが望ましい。
「多くの大学はそれぞれのビジョンやミッションを掲げていますが、コミュニケーションとアウトリーチ、そしてそれらをどのように成功させるかに触れることは少ない。それがまさに欠けている要素であり、取り組むべき課題です。」
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広報室注:この記事は、2021年度にAsia Research News 誌に掲載されたものです。